今更ノーベル賞文学賞のお話

こんにちは。今日も「虹色のホロスコープ」にご訪問くださり、ありがとうございます。

先週の話になりますが、カズオ・イシグロさんがノーベル文学賞を受賞されましたね。
私はカズオ・イシグロさんのお名前を存じ上げませんでしたが、家の本棚を見たら「私を離さないで」がありましたし、その本の感想も覚えております。
あ、あれ書いた人なんだ。。。
「私を離さないで」はタイトルに惹かれてなんの予備知識もなく映画館に行き、なんというか、こう、胸のところにどんどん重く何かが詰まってきて息苦しくなって映画が終わった後にしばらく立ち上がれなかった記憶があるのですが。

その後にフラフラと本屋に行き小説を買いました。
小説のボリュームに対して映画は2時間程にまとめられていましたが、映画だけでも作品の持つ雰囲気は十分に伝わってきました。

誰かに命を奪われるために生きる存在なんてあってはならない、とか、主人公3人の運命というか、不条理なレールへの憤り、遣る瀬無さを感じつつ。
でも、自分が主人公側だったら間違いなくこんなのは間違ってる、と思うだろうが、彼らを必要とする人間だったら、もしくは、必要とする人間が自分の大切な人だったら、と思うと、というか、そういう想像でこの制度にはっきりと「ノー」と言えない自分自身の腹黒さに気持ち悪くなってしまうんですよね。

実際、私は動物を見れば可愛いね、とか眼を細めるくせに肉を食べているし、遠くの海でクジラがプラスチックの廃棄物を胃にパンパンに詰めた状態で亡くなってしまったニュースを見て、プラスチックはやはり自然界にとっては悪なんだと思いつつコンビニでペットボトル飲料を買ったりするわけです。

世の中には人間だけじゃなく、動植物も科学や人間の欲望によってその生存、尊厳を脅かされているくせに、普段は何も知らずに生きている、お前はそういう脳みそお花畑なお気楽ヤローなんだ馬鹿者め。
とこの映画を見た時に感じました。

あれから数年経って、相変わらず私はお気楽に過ごしていて、世界に山積する問題や悲しみをパッと解決できるような魔法を使えるようになったわけでも、それこそノーベル賞に値する素晴らしいアイディアを閃いたわけでもありませんが、世界のどこかの悲しみを奥底で忘れてはいけないなあと思い日々を過ごしております。

今日は重い雰囲気の記事になってしまいましたが、お読みくださってありがとうございます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください