柚木麻子さんの「ナイルパーチの女子会」を読みました。

私の些細な特技の一つに早読みというのがありますが(いわゆる速読法と言うのとは違って読むのが早い、という程度)、この「ナイルパーチの女子会」は一気に読む、ということがかなり難しい類の本でした。

一言で言うと、ホラーで主人公が何か得体の知れないものに襲われる、と言う感じがそこはかとなく感じられて耐えられずに再生をストップしてしまう、と行った感じ。一言ではないですが。

人間関係において順調な成長をする人たちは、栄利子のやっていることは明らかに嫌がられる、ということを成長とともに理解していくことができるのですが、栄利子は思春期の失敗が原因で人間関係の分野での成長がストップしてしまっているためにそれにずっと気がつくことができない。
だから30歳になった時にも子供じみた失敗を繰り返して周りに気持ち悪がられて異物扱いを受けてしまう羽目になる。

栄利子に対して共感した、とか、同情した、とかは特にないんだけれど、登場人物の一人である真織と同じようになんというか、いたたまれない感じ、というか、自分の黒歴史をまざまざと見せつけられるような感じが「あー、もうみてられない、視界からいなくなってほしい」という気持ちを想起させられました。
自分も昔やっちまって、大切だったものをぶち壊して後悔したことがあるので、その失敗から本能丸出しで生きていくことはもうやめようとオブラートに包んだりシュガーコーティングしてなんとかかんとかやっていくんだけど、栄利子は昔の愚かな少女時代の自分を想起させる野獣っぷりを発揮している。
一番いい子ぶってて済まして取り繕ってる栄利子が一番本能とか野生とかを剥き出しに生きているというのがなんというか、もうみたくない、読みたくない、疲れた、休憩と定期的に本を閉じさせていました。

私はあんまり栄利子に対して嫌悪感は感じませんでした。なんというか、自分も人のこと言えないくらい人間関係ではやらかしてたし、少女時代は自分のことばかりで人のことなんか全然思いやれてなくて、時々過去が脳裏に立ち上ってきては恥ずかしさといたたまれなさでぐあぁと頭を枕に突っ込んで悶絶してますし、栄利子のことはバカだと思うけど、私もバカだから嫌えないんですよね。

私はまあクソガキだった少女時代からなんとかかんとか生き続けてママ友から優しいね、とか、一緒にいて楽しい、とか言ってもらえて、心の内を相談してもらえるまでには成長したので、栄利子にもなんとか生きていてほしいなあと思います。

でも、女のドロドロ、私は大好きなんだな、と最近小説を読んでいて思います。
というより、ドロドロがあるからこそ女の人(男の人も)は魅力的だし、一緒にいてお互いに関わっている、という感覚がもてるんだと思います。
ドロドロがないとさらっと通過してしまって、あんまり相手のことがよくわからないというか、いてもいなくてもわからない感じになってしまうのかな、と。
大切なのはドロドロの粘度が適正であることなのかな、と。まあコーヒーも人によってそれぞれ好きな濃さが違うように、人のドロドロも人によって好きな濃さは違うんですけどね。
私は冥王星強めなので割と濃ゆいの好きですよ。